私のProfile

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ご挨拶

当サイトをご覧いただきありがとうございます。私は、英語に特化したオンライン塾を開講しております。英語力を身につけたい、友達を見返したいという熱い思いを叶えるために、最適な伴走者としてカリキュラムを提供してまいります。私は生徒さんの個性、スタイルに合わせた指導を行います。生徒さんが勉学を好きになれるように結果にも拘ります。

皆様の勉学が楽しくなるきっかけと成功体験を得るお手伝いができるよう、全力で精進してまいります。今後とも、当塾をご愛顧いただけますよう心よりお願い申し上げます。

私のキャリア

1983年大阪府、池田市生まれ。高卒の両親のもと池田ですくすく育ちます。父はバブル崩壊で度重なるリストラにあいます。母は高校卒業と共に専業主婦でした。我が家は、比較的貧しい方だったと感じます。更に、私は、不細工、肥満、貧乏の三拍子を兼ね備えていました。これからの人生ゲームを勝ち抜くには、配られたカードがかなり弱かったと感じます。

秦野小学校

私は現代文が苦手だったことを鮮明に覚えています。特に漢字やカタカナの書き取りが大の苦手でした。クラスで1人再テストで居残りをしたのが思い出となっています。さらに、肥満体型で運動が苦手であり、スポーツも上手くできない状況に、自分は劣等感の塊のような学生でした。漠然とした将来への不安も日々感じていたのを記憶しています。

余談ですが、現代文の授業では以下の気持ちを常に抱いていました。

作者の気持ちに正解はあるのか・・・人の感想文に優劣をつけないでほしい・・・答えを導く解き方を教えてほしい・・・

後に、作者の気持ちを導く回答方法を導き出します。作者の気持ちではなく、出題者の気持ちが重要であることを大手予備校が出版している参考書で知りました。学校では誰も教えてくれません。経済的に豊かな友達は予備校でこの事実を知り、私は知りません。この不条理な状況をとても悔しく思います。

渋谷中学校

数学が得意な私でしたが他の科目には手を焼いていました。勉強において、小学校の時以上に友達に差をつけられていました。父の影響で野球が好きな少年でした。勉強が苦手な分スポーツに情熱を傾けることができました。野球部で日々練習に励み、仲間と切磋琢磨する日々はとても充実していました。

しかし、中学2年生の時に突然の運命の試練が訪れました。足を大怪我(複雑骨折)し、悲しみに暮れることとなりました。入院後に大きな手術をして今も後遺症が残ります。大好きな野球も不完全燃焼のまま卒業することになり、心は満たされないままでした。長期入院したこともあり、英語を中心に勉強がほぼできない状態に陥り、十分な受験勉強の時間も割くことができませんでした。青春を謳歌する友人を羨ましく、とても落ち込みました。しかし、その中で自分と向き合い、これからの人生どのように向かって進むかを考えました。私立に進学し大学受験をすることを決断します。今でも、その決断が私の人生のターニングポイントだったと強く確信しています。

決断とターニングポイント

私の家庭は貧しかったですが、奨学金制度を活用して、私立に通い大学受験をすることを決断します。

より経済的に豊かになりたい。親孝行をしたい。友人を見返したい。良い車に乗りたい。憧れる生活を送りたい。そんな漠然とした夢を持っていました。奨学金制度を活用し、高校3年間、目標に向かって猛烈な勢いで受験勉強に取り組みます。奨学金で借りた金額と受験勉強に注いだ青春という時間を必ず将来大人になって取り戻すと決断しました。その決断は、未来への希望を持ち生き抜く強い原動力となりました。

履正社高等学校

高校入学と同時に早朝から夜遅くまで猛勉強しました。自宅から学校までの往復以外は常に自宅で勉強していたように思います。自分の夢に向かって進んでいるときは、とても充実していました。同時にプレッシャーに押しつぶされそうでした。しかし、勉強が苦手だった私が勉強をするその姿は周囲の人々にも影響を与えました。私の存在がカッコいいと感じていただける事もありました。周囲の友人も私に感化され日々受験勉強に励みました。共に切磋琢磨した大切な思い出です。私の行動が周囲を巻き込み、共に努力できたことで、初めてリーダーシップという言葉の意味を理解したのも記憶しています。

高校1年生では偏差値40台前半でしたが、2年生の頃から50台。3年生では60台となり、当時の履正社高等学校では出来損ないの生徒の成功モデルとなりました。

実力がついても、本番で負けては意味がありません。勝負の世界は厳しいです。最後は徹底的に実践する、そして、相手を知る事が勉強でもスポーツ重要です。強いものが勝つのでは無く、勝ったものが強い。これは仕事でも同じと感じます。本番に近い環境で関西学院大学の赤本20回分を各3回解き本番を迎えました。

合格通知を受け取った時、両親が自分のことのように喜んでいた事がとても誇りに思いました。

関西学院大学 経済学部

大学に入学すると、私はボクシング部に入部しました。大学時代は、部活に励む日々の中で、バイトもこなし、非常に充実した時間を過ごしました。高校3年間の青春を取り戻すかのように、楽しいキャンパスライフを送ることができました。

ボクシング部での経験は、私に精神的な強さと肉体的成長を加速させ、私に自信を与えてくれました。また、バイトを通じて社会とのつながりを感じ、自己成長のための新たな環境にも適応することができました。これらの経験は、私の人生に大きな影響を与え、さらなる成長へと導いてくれました。

社会人

外資メーカーに就職。現在もサラリーマンとして活動しています。20代前半で夢だった車も購入しました。20代で母親を海外旅行に連れて行くこともできました。子供の頃の夢の一部は実現できています。

繰り返しになりますが、中学校の時の決断が私の人生のターニングポイントだったと強く確信しています。当時の努力と成功体験は、大人になってからも大きな力となりました。大人になると、学生時代とは比べ物にならないほど、厳しい現実や苦難に直面することがあります。営業成績の不審や、上司、同僚との衝突。しかし、過去の成功体験は、自信が崩れそうな瞬間や、ライバルに先を越された時でも、心の支えとなり、困難を乗り越える勇気を与えてくれます。

大人になる前に成功体験を得ることができない場合でも、大人になってからでも、自分の強さを発見し、成長することは勿論できます。しかし、大人になる前に成功体験を得ることは、人生を勝ち抜く上で非常に有利です。若い頃から成功体験を積むことで、自分の能力を早い段階で理解し、自信を持つことができます。また、その成功体験が、将来的に直面するであろう困難や挑戦に対処するための基盤となります。若い頃に得た成功体験は、自分の強さや可能性を広げ、周囲との競争にも自信を持って取り組むことができます。また、失敗や挫折にも負けないタフな精神力を養うことができます。

人生後半戦もきっと困難に直面するはずです。しかし、それらを乗り越える自信があります。困難を乗り越える自信と原動力は学生のころの成功体験があるからです。

伝えたい事

過去の努力と成功体験は、未来の自分にとっての立ち向かう糧となります。皆さんが大人になっても、その力は皆さんの背中を押し続けます。だから、私は今でも努力を続けます。そして、それが明日の強い自分への鍵となリます。

高校で3年間(中学3年間)遊び、大人になって苦労するか、それとも早くから自分の人生に責任を持ち、未来に向けて努力を続けるか。この選択は、人生の舞台で重要な役割を果たします。遊びに明け暮れることで一時的な楽しさや快楽を得られるかもしれません。大人になってからは、その結果として苦労や挫折に直面することが多くなるでしょう。しかし、若い頃から自分の人生に目標を持ち、努力を続けることで、将来的に安定した人生を築くことができます。

今の努力は大人になってからの努力では取り返せないほどの見返りがあります。

どちらの道を選ぶかは、みなさん次第です。選んだ道が将来の自分にとってプラスになるよう、意識的な選択を行うことが重要です。

遊びと努力のバランスをうまく取りながら、自分の人生を楽しむことが大切です。勉強に、部活動に、恋愛に、全てにおいて皆さんの青春が謳歌することを願っています。

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